全日本農民組合連合会

分裂していた農民組合の統一体で、戦後復活した農民運動は、昭和21年、農地改革を契機として日本農民組合に統一し、その最盛期には組合員130万人とも言われました。その後は指導者間の派閥争いや、農地改革その他の問題に対する各政党の農村政策が対立するなどの関係により分裂状態となりました。昭和二十二年には、平野力を中心とする最右派は、日農を脱退して全国農民組合を組織し、25年には日農が社会党左派系の日農主体性派と労働党、共産党系の日農統一派とに分裂しました。その後は主体性派より社会党右派系の日農新農村建設派が分裂し、その間に地方的な組合として、茨城県の常東農民組合などがありました。31年になってからこうした分裂状態は、日本の農民組織を弱めるぱかりだという反省が生まれ、社会党の左右面派の統一にも刺激され同年3月、各組合共催による戦後農民運動十周年記念祭が行われました。これがきっがけとなり統一の話合いが進められ、32年9月10日、全農と日農新農村建設派を除く他の農民組織は日本農民組合全国連合会を結成し、ついで33年3月24日、残った全農と新農村建設派も参加した全日本農民組合連合会に統一しました。しかし間もなくまた社会党がら民主社会党が分裂したのにともない、民社系の右派が全日農を脱退し、35年8月、全国農民同盟を組織しました。

お金と農業環境

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