農地報償
農地報償とは戦後の農地改革に際して、低い地価で農地を解放したという理由で行なった旧地主に対する補償措置のことで、旧地主は昭和32年全国農地解放者同盟を組織し、10アール当り10万円の国家補償を要求しましたが、世論の反撃にあい容易に実現しませんでした35年旧地主の圧力により内閣に農地被買収者問題調査会を設置しましたが、その答申の結果はかならずしも地主側に有利ではありませんでした。そこで補償を報償に代え、農地報償法案、農地被買収者に対する給付金の支給に関する法案を39年の第46国会に提出しましたが成立せず、次いで40年の第48国会に再提出、野党側の反対を押切って成立させました。その内容は全国約206万人の旧地主に対して、一人当り100万円を限度として、10アール当り平均2万円の記名国債を交付するものでした。旧地主の約3分の1が手続きをしませんでした。
農地集団化計画とは農地の交換分合計画のことで、同じ農家の持っている農地があちこち飛び離れている場合が極めて多く、こうした状態は災害の多い段階では保険的意義を持っていましたが、排水などの土地改良が進んで生産が安定してくれば、ことに自動耕転機その他の機械力を用いる段階になると、労力節約の上からも、互いに交換しあって、できるだけ一個所へ集めるほうが得でした。こうした土地が全農地の約八割ぐらいありました。しかし地力、距離、交通の利便などいろいろ条件が運うので、実現は容易ではありませんでした。

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