農業手形
戦後物価高騰の中で、パリティ米価によるシェーレと税とで農家が肥料を現金で買えなくなったために、昭和23年、肥料や農業機械などの購入資金を農業協同組合が農家に貸付けるのに、自体は未だ弱体であったために、政府の支払う米麦の供出代金をもって天引きし、不作の場合は農業共済金も担保とする条件で貸付付けたものを言います。農家の出した手形に対して、信用組合連合会または農林中央金庫が、貸付けを行ない、最後は日銀が割引く途が開かれていました。食糧増産の要請から生まれた制度でした。金融機関にとって最も確実な融資であり、肥料会社は焦げつく危険なしに肥料が売れました。農家はこれにより低利資金が得られましたが、供米の少ない下層農家にとっては縁のない制度でした。戦後の農業金融に大きな役割を持っていました。青田売りを公的にしたものでしたが昭和20年代の終わりまで、農協の短期貸出の主要なものでした。昭和30年以来、豊作と低利金融制度が充実したために農業手形の残高ば月々低下し、農手担保による日銀借入れはなくなり、昭和33年、この制度は無くなりました。そして農林中金の短期低利の特別営農資金に継承されました。

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