惰農化
米の生産調整や米価据置きを続けた農業政策は、稲作不利な地帯でも、有利な地帯でも惰農化傾向をもたらし、日本の食糧供給力低下に拍しやをかけてきました。青森の太平洋岸など収獲不安定日の多い地帯では、米の生産調整達成率が高く、多くの農家が休耕転作奨励金プラス出稼労賃を選択しました。休耕田の稲作復元に奨励金を出すのに応ずる者が少ないということでした。新潟の穀倉地帯などでも、減反達成率こそ低く稲作は続けられていましたが、稲作収入の頭打ちのため日雇など兼業が進み、稲作が農家の片手間仕事になり、天候条件などがよい年にも不作となってきました。ここでも惰農化傾向がみられるのでした。
工業による環境汚染が、自然や農業のもつ環境保全的能力の限界を越えてきた現在では、環境保全を直接の目的とした農業が必要とされるようになりました。これを緑地農業と呼びこれまでの食糧や木材の生産を目的とする農業林業を生産農業と呼んで区別する必要を説く学者も現われていました。この環境保全ということが直接に収入ある物質を生産するのではないために緑地農業の主体は公的のものでなくてはなりません。生産農業そのものが本来の姿を維持する条件を与えること政冶的に緑地農業の本質求めることとなります。

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